読書シリーズB「古文書はじめの一歩」

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図書館で見つけた「古文書はじめの一歩」(油井宏子著 柏書房)が面白い。

チョット見にはとても読めそうもない「古文書」が著者の油井さんに解説されると、なんとなくそのように読めてくるから不思議だ。
私の忘備録めもから一部を引用してみる。

 

今回の「古文書」は正徳5年(1715年)に書かれた『南組夜番帳』がテキストです。

『南組夜番帳』は、浅田家文書と名づけられている1万8千点余りもある文書群の中の一点です。現在は、東京大学経済学部資料室に所蔵されていますが、もともとは山城国(現在の京都府)の資料だそうです。

 

解読文
 覚(おぼえ)
一、(ひとつ)
一晩に二人ずつ
番屋へ詰めて
番勉め(ばんつとめ)申すべく候(そうろう)
九ツ・八ツ・七ツ、右之(みぎの)
刻限に相違候(そういなくそうろう)
壱夜(いちやに)四度宛(よどずつ)
拍子木打(ひょうしぎをうち)、壱人(ひとりずつ)
替り替わり相廻(あいまわ)り
門数戸共(もんすうことも)、念入(ねんいれ)
相改可申候(あいあらてめもうすべくそうろう)
弐人之内(ふたりのうち)壱人(ひとり)ハ、番屋ニ
相残リ居可申候、(あいのこりおりもうすべくそうろう)

 

 浅田家は、江戸時代に山城国相楽郡西法花野村(やましろのくに、そうらくぐん、にしほうけのむら)(現在の京都府木津川氏山城町上狛)の庄屋を務めていたそうです。
西法花野村は、東法花野村、野日代村、新在家村とともに上狛村と呼ばれていました。
この地域が環濠集落(かんごうしゅうらく)だったことです。まわりを濠(ほり)で囲まれた環濠集落は真ん中の大きな部分が大里環濠集落です。北にある林村、南の新在家村を含めて、広義の上狛村と称される地域だそうです。

 

この集落には、北は「北門口」、南は「中の門口」、東は「小中小路口」、西は「井ノ坂口」と、東西南北の入口に門が築かれ、この他にもさらに四カ所に門があったことがわかります。
 この九つの地域は、北組と南組の二つの組に分かれて、夜番を務めていたことが関連文書から分かります。北組からは二人出て「北門」に詰めます。南組では二人が「中の門口」に詰めました。今回の『南組夜番帳』は、この「中の門口」に詰めた夜番に対する決まりだったことがわかります。