涙シリーズEぼろは着てても・・

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週刊新潮6月9日号 高山正之さんの「変見自在」に紹介された、帰国PKO部隊への機長アナウンスの話です。
高山さんはここに書いていませんが、このとき、M機長は自腹を切って、機内にあるアルコールを全部彼らに振る舞うよう、キャビンアテンダントに頼んでいます。

 

『ぼろは着てても』
一昔前になる。熊本県水俣市で鉄砲水が出て19人が死んだ。
それを伝える共同通信の記事は「もっと捜して」の見出しで「(身内がその辺に埋まっている。自衛隊員に)もっと捜してと言っているのに」と視察に来た県知事に訴えている被災者の言葉を取り上げている。
記事に添えられた写真は横隊で泥沼の中を遺体捜索に当たる自衛隊員を手前から中年の女性二人が手持無沙汰にしゃがんで見つめている図柄だ。
何とも違和感を感じる。
身内が埋もれているなら自分たちで探すのが家族というものだ。少なくとも日本人はそうしてきた。
 そこに災害派遣の自衛隊員が来てくれた。語る言葉はまず「有難う」だろう。そしていっしょに泥沼を懸命に探す。
しかし共同の記事は違う。被災者はご主人様で、泥まみれで仕事をするのが自衛隊員。それが写真の構図。その主人様がここを掘れと言っているのに言うことを聞かない。『奴隷のくせに許せないと不平を洩らす被災民』としか読めない。
朝日新聞と共に共同が常々張ってきた自衛隊蔑視キャンペーンはこうした一般記事にも盛られ、ある種サブリミナル効果として人々の心に浸透させていったように思える。

 

 それが端的に出たのが今回の3・11大震災だ。
新聞には毎日、震災死者数と行方不明者の数が載る。死者数は増え、その分行方不明者の数が減るのは遺体が新たに発見されるからだ。
だれが発見するのか。被災者の身内ではない。彼等は「外は臭くて」(朝日新聞)とか言って日がな一日避難所に籠もったままだ。
ここも水俣市と同じ。泥沼を、そして逆巻く波の打ち寄せる海岸を捜索しているのは自衛隊員で、彼等は2カ月以上休暇なしの連続勤務に耐え、風呂も被災民に譲って汚れた体のまま雑魚寝を続ける。共同の主張は被災者に根付いていた。

 

 自衛隊蔑視論は官僚世界にも根を張っていた。
90年代半ば、ルワンダ内戦で難民が出ると外務省はその救済に自衛隊員派遣を言い立てた。
難民キャンプにも武装ゲリラが出没する。エイズは流行る。危険千万で、内戦に責任のある西欧諸国も尻込みしていた。
で、米国が安保理常任理事国入りを餌に日本に派遣を要請してきた。
外務省は喜び、派遣部隊に被害が出ればより外交効果があると読んで、装備は小銃のほか機関銃一丁とほとんど丸腰で放り出した。
自衛隊はそんな悪条件下でも任期を無事務め上げたうえ、武装ゲリラに襲われたNGOの日本人医師の救出もやってのけた。
外務省には期待外れだった。お前らは死ねばいいのに、なに勝手をやるのか。共同も朝日新聞も自国民救出など自衛隊の越権行為だと非難した。
期待に背いたことへの報復は陰険だった。任務終了後、帰国には民間機を利用し、その際は制服の着用は仰々しいので認めない。
各自私服で帰れと。

お前らは目立つことはないという意味だ。誰しもましな着替えなど持っていない。
 年の押し詰まった12月27日、ロンドンから日航機に搭乗したとき周囲の乗客はひどい身なりの集団にちょっと驚いた。
それが異郷の地で頑張り抜いた自衛隊員と知るのは機が公海上に出てからの機長アナウンスでだった。
「このたびは任務を終え帰国される自衛隊員の皆さま、お国のために誠に有難うございました。国民になり代わり機長より厚く御礼申し上げます。当機は一路日本に向かっております。皆さま故国でよいお年を迎えられますよう」
異形の集団を包むように客席から拍手が沸き、その輪がやがて機内一杯に広がって行った。
機長は乗客リストを見て自衛隊員の帰国を知り「日本人として当然のことをしただけ」と語る。
成田に着いたあと65人の隊員はコックピットの見える通路に整列し機長に向かって敬礼した。
被災地はともかく日本人はまだまだ一杯いる。