読書シリーズA習近平よ、「反日」は朝日を見倣え

WB HOUSEのBlogへようこそ!”健康に拘る”営業の河野です。資料差し上げます!
こうしてあなたと出会えたのも何かのご縁です、ぜひ「WB工法」と、「エアープロット」いう言葉を覚えて帰ってください、いつか必ずあなたのお役に立ちます!長野の棟梁が考えた「換気扇を使わないで室内の湿気・VOC・臭気を排出」する工法と、白金担持触媒で「アレルギー源を無害化する」方法です。

高山正之さんの変見自在シリーズ最新版【習近平よ、「反日」は朝日を見倣え】が出ました。いつもながら、読後のスッキリ感はこたえられません。
ほんの一部を忘備録メモから引用させて頂きますので、詳しくは是非本書を通読してください。
今回は”小泉純一郎が「反原発」に転向したワケ”を見てみましょう。歴史に「タラ」「レバ」は禁句ですが、返す返すも口惜しい限りです。
では・・

小泉純一郎が「反原発」に転向したワケ

 西海岸に向かうユナイテッド航空93便はその朝、管制の混雑で予定を大幅に遅れて午前8時42分にニューアーク空港を離陸した。
 その4分後にアメリカン航空11便がニューヨークの世界貿易センター北棟に突っ込んだ。
 93便のJ・ダール機長がそれを聞いたのは離陸まもなくの9時18分。本社からの無線は操縦席へのテロリストの侵入防止の確認を促した。
 しかしその直後にレバノン生まれのイスラム教徒ジアド・ジャラ以下4人がドアを蹴破って操縦室を制圧した。
 9時28分、管制塔はダール機長の緊急事態発生と伝える声を聞いた。
 93便はそこからUターンし、東南東に進路を取った。その先にはワシントンDCがある。
この時間にはすでに貿易センター南棟にも別の1機が突入し、DC郊外の国防総省にもアメリカン航空機が突っ込んでいた。
 当局はDCの全官庁職員に退避命令を出した。同時に不審者の侵入阻止のため周辺基地の空軍基地に出動命令が出された。
 このころには93便の乗客も地上の異変を家族からの携帯で知らされていた。
 そして「静かにしろ」というレバノン訛りの機内アナウンスが乗客に自分たちの運命を知らせていた。
 乗客の一人が機内電話で地上に状況を伝えている。「すでに乗客一人が殺されている。みんなで行動を起こし、乗っ取り犯を倒そうと言っている。」
 最後の声は「Let’s roll(さあやっちまえ)」だった。
 これが午前10時ごろ。ピッツバーグの南を飛んでいた同機は不安定な飛行を続け、最後はほぼ垂直に墜落した。機体は原型をとどめていなかった。
「乗客の反乱」で計画を断念した犯人が自爆を選んだとみられるが、別に戦闘機による撃墜説もある。
 いずれにせよ93便を使った第4のテロは失敗に終わったが、ではその標的はどこだったのか。
 ホワイトハウス説もあるが、主犯のジアドは小型機の訓練しかしていない。3階建ての小さな標的を狙う技量はない。
 やはり高さ88メートルもある丘の上のキャピトルヒルだろうという説が強いが、玄人筋はハドソン川河口のインディアンポイントを有力な候補に挙げた。
 ここではウエスティングハウス社製の加圧水型原子炉2基が稼働中だった。
 もしここに93便が突っ込めば、朝日新聞だったら「炉心は溶融しマンハッタンは放射能で汚染され、死の街になる」と書くだろう。
 米原子力規制委(NRC)もそれを考えた。ニューメキシコ州のサンディア国立研究所の協力で実際に27トンのF4ファントムを原子炉建屋に突っ込ませる模擬実験もやった。
 結果、NRCの基準に従ったコンクリート建屋なら格納容器には一切被害は及ばなかった。
 使用済燃料プールも破断して水抜けといった可能性はすべて否定された。
 ただ一つ、不安は原子炉運転用の電源だった。格納容器は安全でも、冷却水を循環させる電力がなければ結局は福島と同じ、炉心溶融につながる。
 NRCは9.11テロの教訓として2005年、米国内の原発はすべて非常用電源を複数に、かつ異なる場所に設置せよとする改善命令書「B5b」を出した。
 同時に日本など関係国政府に「B5b」を送り、早急の対応を促した。
 しかし東電など日本の原発関係者がそれを知ったのは3.11のあと。それも韓国辺りからの情報だった。
 福島は非常用電源をまとめて海側の一ヶ所だけに置いていた。それが全滅してあの事故になった。
「もし米NRCの支持を日本政府が伝えていれば福島はすぐにも別の場所に非常用電源を準備した。あの事故は避けられた」と関係者は悔やむ。
 この重要な命令書を放置したのはだれか。05年当時の首相、小泉純一郎だ。
 その罪は馬鹿を言って対策を遅らせた愚かな菅直人より重いかもしれない。
 彼は最近、ボケ老人細川某と組んで急に反原発を言い出した。過去を振り返り、だれがA級戦犯か気が付いたのだ。
 それであわてて反原発を言い出したのか。管の前に出て、管より管臭い。
 出管の誉れか。
                                               (2014年7月31日号)

さらにもう一話・・

 

「タイタニックに乗っていた中国人」
 深夜、ドアのノックで起こされた。船員が救助命具を投げ、非難を促した。
 甲板に出ると別の船員が「最下等船室の中国人は上がって来るな」と言った。
 二等船室の日本人だと告げ、何が起きたのか聞いたが返事はなかった。
 しかし救命ボートに乗客が群がる状況は何が起きたかを雄弁に語っていた。
 1912年4月、タイタニック号の沈没に乗り合わせた鉄道院副参事、細野正文のメモに残されたその瞬間描写だ。
 究明ボートには女子供が優先だと船員が銃を振り回しながら言う。日本人の恥にならぬよう覚悟を決めたとき、降下を始めた10号ボートから「あと2人」の声があった。
 周囲に女性はいなかった。白人が即座に飛び乗った。誰も続かないのを確認して細野も飛んだ。
 タイタニックに乗り合わせたたった一人の日本人は生還を果たした。
 が、もっと不幸が待っていた。
 生還したケンブリッジ出の科学教師ローレンス・ビーズリーは自分はさっさと救命ボートに乗り込んでいながら「無理やり乗り込んできた嫌な日本人がいた」と語った。
 それを外電で伝えられると日本の新聞は細野を罵り、非難の手紙が殺到した。彼は弁解せず、職を辞してひっそりその後を過ごした。
 一方ビーズリーは事故の2か月後には遭難記を出版し、それはハリウッドで2回も映画化された。
 その分中でビーズリーは「右舷13号艇に乗った」とあった。細野は左舷10号艇に乗っている。
 卑劣な英国人が見た「嫌な日本人」は出稼ぎの中国人だと分かり、97年の米「タイム」誌が85年ぶりに細野の身の潔白を証明した。
 その間、日本の新聞は何をしていたのか。同じ日本人の細野を信じようともせず、いい加減な英国人の戯言を鵜呑みにしてきた。
 しかもその無実を明らかにしたのも外国誌とはいったいどういうことなのか。
 産経新聞の曽野綾子のコラム「透明な歳月の光」で彼女が南アフリカの白人マンションに入居した黒人一家の話を紹介した。
 黒人の家庭は大家族主義だから一家4人用のスペースに30人が住みついた。彼らが風呂や洗濯をするといっぺんに水不足になり、白人が逃げ出し、いつの間にか黒人マンションになった。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」と曽野綾子は結んだ。
 これを読んだとき大方は川口市の芝園団地を、あるいは関西なら堺市南区の団地を思い出したのではないか。
 住みついた中国人が窓から使用済のオムツを捨てる、火のついた煙草を捨ててボヤ騒ぎは起こす。通路に粗大ごみを捨て、エレベーターに大便をする。
 確かに曽野さんの言う通り、一緒に住めない人種もいるものだなあと思ったものだ。
 ところが2、3日してロイターが「首相の元アドバイザーがアパルトヘイトを称賛した」と打った。
 ロイターと言えば駐日特派員アンドレ・プーレーがシーメンス事件のネタで強請(ゆすり)をやった。それで事件が発覚し、プーレー夫人が夫の不行跡を恥じて首を掻き切る騒ぎもあった。
 今も反日で鳴らす通信社なのに朝日新聞がそれに飛びついた。論調も同じで安倍首相の元側近が人種差別を勧めたと。
札付きの外電が日本の悪評を流せば、まず日本人のために働いてみるのが日本のメディアの役割ではないのか。
 朝日は2日後にまた同じネタを取り上げ「安倍首相のアドバイザーだったことはない」と否定する曽野談話を付けながら「首相の元アドバイザーがアパルトヘイトを」と再掲する。
 安倍首相はこんな危ない思想の持ち主を側に置いていた。それを外電が世界に流した。さあ大変。「国際社会では、理解されぬ」となぜか新宿・大久保に住みつく韓国人に批判させる。
 曽野さんの反論には首相が諮った教育問題の会の一員だったから決して誇大な表現じゃないとしているようだが、「アドバイザー」は例えば大統領の「特別顧問」とか普段は訳している。揚げ足取りの領域を超えている。
 なによりなぜ日本で起きたことまで外電の判断を優先するのか。細野正文の悲劇をまた繰り返す気なのか。(2015年3月5日号)

 

本書には、こんな痛快で勉強になる話がいっぱいです、是非ご一読を・・・。