読書シリーズC「或る小石の話」宇野千代

WB HOUSEのBlogへようこそ!”健康に拘る”営業の河野です。資料差し上げます!
こうしてあなたと出会えたのも何かのご縁です、ぜひ「WB工法」と、「エアープロット」いう言葉を覚えて帰ってください、いつか必ずあなたのお役に立ちます!長野の棟梁が考えた「換気扇を使わないで室内の湿気・VOC・臭気を排出」する工法と、白金担持触媒で「アレルギー源を無害化する」方法です。

読書シリーズC「或る小石の話」宇野千代
瀬戸内寂静さんが「最高の短編。私もいつかこういうものを書いてみたいと思っている・・」とか言われていたので読んでみた。私の忘備録メモから一部を紹介してみたい。

 

歴史的仮名遣(れきしてきかなづかい)で書かれています。
また、「ことむやはす(言向矢放)」さんのサイトも参照してみてください。

「或る小石の話」 宇野千代

或るとき、カナダから帰つてきた私の知人が、私のところへお土産だと言つて、珍しい小石を三つ、持つて来てくれた。そして、その小石について、面白い説明もしてくれたのであつたが、私はその人が帰つてから、ふと、その小石のことから、こんな小説まがひの文章を書いてみる気になつた。

「お帰んなさい、達吉さん。」
 達吉のそばに駆け寄つて、佳世はさう言つた。世間では誰でもがさう呼んでゐる、岡田と言ふ達吉の姓を呼ばないで、達吉さん、と呼ぶのは、特別に近しい間柄の人間の習慣である。
 佳世は達吉が、飛行場から真つ直ぐに、どこへも寄らないで、ここへ来たことを知つてゐるので、その服の、埃臭い匂ひが、堪らなく懐かしいものに思はれたのであつた。
「お土産を持つてきましたよ。ほれ、」
 と言つて、そのとき、達吉がポケットから取り出したのは、三つの小さな石ころであつた。達吉の説明によると、その石ころは、カナダのハンソン島に群棲してゐる鯨が、ちやうど人間が、風呂へ這入つて体をこするときにするやうに、ときどき自分の体をこすりつけては、磨くのが習慣であるが、その自分の体をこすりつけるのにちやうど都合の好い、石ころのたくさん集まつてゐるところがあつて、言つてみれば、そこは、鯨にとつては風呂場なので、入れかはり立かはり、鯨たちが体をこすりつけてゐる間に、その石ころは、こんなに円くなり、一種の艶を帯びて来てゐつのだ、と言ふのであつた。
「まあ、さうなの、」「さうなの、」と佳世は感に堪えないやうな返辞をする。岡田達吉の仕事と言ふのは、この世のありと凡ゆる珍種の動植物の生態を探し出し、とことんまで研究して、日本に帰つて来てから、各地で講演し、人々の反響を見る、言はばさう言う、一種、無償に近いものなのであつた。
 佳世は達吉のさう言う仕事を尊敬しないではゐられなかつた。彼女もまた、もの書きを仕事としてゐるので、達吉の講演を聞いて、その同じ内容のものを書いたりしてゐることもあつたが、これは佳世の、達吉に対する愛ではなくて、自分でも気が付かぬ間に、思はずそうしてゐるのであつた。
 達吉は東京にゐることは殆どないが、東京にゐるときには、佳世のマンションに朝来て、また、夜来たりする。泊まつて行くことは絶対にないのであるが、「さよなら、」と言つて、握手をするときに、そのまま、思はず抱き寄せて了ふこともある。それが、たまには応接間のソファの上であることもあるが、その行動はそれ以上は進まない。
 佳世はもの書きの仕事のほかに、きものを作つたり、また、古い日本の布を集めたりしてゐる。このほうは、佳世の仕事と言ふより、道楽と言ふ部類のことに属するかも知れない。
 達吉の持つて帰つた小石を、佳世は自分の道楽である、日本の古い布の上に、すぐ載せて見た。その布は、それほど古いものではない、朱珍と呼ばれてゐる、朱色の、ちょっと光のある布なので、その上に、達吉の持つて帰つた石ころを載せると、布の方は光つてゐるし、小石の方は鈍い色をしてゐるので、その対比で、ちよつと面白いもののやうになつて見えた。
 達吉はだまつて、佳世のすることを見てゐた。不思議なことであるが、ハンソン島の小石は、朱珍の布の上で、いかにも気持ちよささうに、座つてゐるように見えた。
小石はただ円くて、つるつとしてゐるのではなかつた。艶があるのでもなかつた。艶のあるやうに見えるのは、鯨がそこに体をこすりつけた、その痕跡なのであつた。
 達吉は自分が、佳世のこのマンションに一度も泊まつたことがないのは知つていたが、小石が布の上に、気持ちよささうにのつてゐるのを見てゐる間に、ふいに「今夜はここに泊まって行きたい、」と思つたのであつた。達吉はどうしてそんな気になつたのか、自分でも分からなかつたが、その、自分の思ひを振り切るやうにして、「あ、僕、まだ仕事が済まなかつた。今夜はこれで帰りますよ。」と言つて、持つて帰つた荷物を、また背中にしよつて、そのまま、出口の階段を駆け下りた。
「あら、達吉さん、」
 と言つて、佳世が達吉のあとを追ひさうにしたとき、その狭い階段の上で、達吉の体と一緒になり、どどどどどと下の踊り場の板の上まで転げ落ちたのであつた。
 のちに、二人の体が病院まで運び込まれたとき、その病院の外科の医師の語つたと言ふ話であつたが、
「体の柔らかい女の人が、こんなに酷い怪我をするものではないのですが。」
 と言ふことであつた。佳世は右の腰を折つてゐたのであつた。

 それからあと、佳世は病院で七十日もの間、入院してゐた。腰の骨は全身の蝶番ひの役割りをしてゐるのだとかで、腰の骨を折ると、足の骨だけではなく、胸の骨まで折れてゐて、その骨がくつつくまで、全身にギブスを当ててゐたのであるから、その間、体の自由が利かない。そのために、食事をするにも、下(しも)の手当てをするにも、人手を借りなければならなかつた。達吉はその佳世のことが気がかりで、仕事も合間だけではなく、絶えず病院へ通つてゐた。
「達吉さん、それではあなた、お仕事が出来ないわ。」
「何を言つてゐるのですか。僕が、あんなに無理をして、階段を下りさへしなければ、あなたにこんな怪我はさせなかつたのに、」
 二人の言ふことは、いつでも同じことであつた。
 しかし、佳世はさうは思はなかつた。達吉が帰りさうにしたとき、そのあとを追ひそうにして、その狭い階段の上で、達吉の体の上に冠さるやうにしたのは、自分であつた。いまになつて、そんなことを言ひ合ふのは、それが愉しいからであるやうな気がしたのは、不思議である。
 佳世が退院してからであつたが、或るとき達吉は、確かに以前は田舎でよく使つてゐた木炭と同じものを、小さい炭俵の形にして、持ち易いやうな格好にしたものを、土産だと言つて持つて帰つた。
「岩手県へ行つて来たんですよ。岩手県は日本一の木炭の名産地で、いまではかう言う形のものを作つて、都会から来た人への、土産物にして売つてゐるんです。面白いでせう。しかし、これは、ただ面白づくで、こんな土産物を作つてゐるのではなくて、木炭と言ふものは、それ自身、絶えず周囲の炭酸ガスを吸ひ込み、その代りに酸素を吐き出してゐる、不思議な機能を持つてゐるものなんですよ。だから、これを、身の回りに幾つか置いておくと、知らない間に、絶えず酸素を吸ひ込んでゐる、と言ふ訳なのですよ。だから、佳世さんが、さうしてマンションで寝てゐても、その間に、始終(しよつちゆう)、酸素を吸つてゐたら好いなあ、と僕は思つたんですよ。どうも、僕のお土産は、石ころであつたり、木炭であつたり、」
「あら、それが、何よりのお土産ぢやあありませんか、」
 佳世は涙がこぼれさうであつた。その小さな炭俵を部屋の隅々において、あきずに眺めてゐると、達吉が絶えず自分を見守つてゐてくれてゐるやうな気になる、と思われたからであつた。
 佳世は仕合せな気持ちであつた。こんな木炭で、それが可能であれば、どんな状態にゐても、さうだと思ひさへすれば、達吉はすぐ身近かにゐるやうな気がしたからであつた。
 その中に佳世は、もう自分ひとりでも、往来を歩けると思ふやうになつた。実際には、佳世の右足は少し短くなつてゐたので、何の気もなしに歩いても、ほんの少し、足を引きずる。達吉と一緒には歩けないなあ、と思つたのであつたが、しかし達吉は、佳世が足を引いて歩いてゐても、決して、そのことに気がついたやうな風は、しないだらうとも思つた。
「達吉さん、一ぺんご一諸に表を歩いて見たいのですけれど。ほんたうは私、ほんの少し、足を引きずるのよ。」
 さう言つて、一ばん言ひ辛いことを言つて了ふと、佳世はとても気楽な気持ちになつた。ながいこと連れ添つてゐる夫婦と言ふものは、こんなものかも知れないと思つた。するとそのとき達吉も、
「ああ、一緒に表を歩いて見たいですね。だけど、あなた、歩けるの、」
 と言つたものである。佳世の気持よりも、さきを越して、もつと辛いことを、平気で言つたものである。それでこそ、ながいこと連れ添つてゐる夫婦と言ふものだと思はれるようなことであつた。
「あら、歩けてよ。表をご一緒に歩いて、どれくらゐ足を引きずるか、試して見たいのよ。はははははは。」
 佳世は大きな声をして笑つたものであつた。

 それからのちは、佳世と達吉は何度も表を一緒に歩いた。それでこそ、ながいこと連れ添つてゐる夫婦と言ふものだと思つたことも忘れて、虚心で歩き、
「あら、生きの宣ささうな浅蜊を売つてるわ。今夜のおみおつけにしませうよ。」
 と言つたりしたものである。これは夫婦と言ふことを通り越して、普通、そこいらに住んでゐる人たちの、何でもない気持ちのやうになつて歩いてゐたのであつた。
いまでは、さよならの握手をして、そのまま、思はず抱き寄せると言ふこともない。
そのまま、思はず抱き寄せると言ふこともないどころか、以前はそのまま抱き寄せてゐたと言ふことも忘れて、一緒に歩いてゐるのである。自分のすぐそばに相手が歩いてゐる、と言ふことも、相手の足音がはつきりと意識の中に残つては聞えないので、まるで気にならないのである。

 佳世の寝室はマンションの奥の、畳の敷いてある、八畳の日本間であつた。唐紙のそとから、
「這入つても好いですか、」
 と言ふ達吉の声がした。カナダへ行つて、しばらく帰つて来なかつた達吉の声であつたが、佳世はだまつてゐた。
 だまつてゐるのは、這入つて来ても好い、と言ふことであつた。佳世は息を殺してゐた。すると、短くなつてゐる方の足がまた少し、ち、ち、と縮まるやうな気がした。
「達吉さんは這入つて来る。」
 佳世はさう思つた。佳世はしかし、その達吉を拒否する気にはならなかつた。間の唐紙があいた。佳世の枕許には、昔から彼女が持つてゐた古い行燈がおいてあつて、ほんの少し、灯がついてゐたが、達吉の這入って来る気配と一緒に、ふつと消えた。
 二人とも、決して身動きはしない筈なのに、激しく抱き合ひ、そして裸のまま、股を合わせた。どちらが佳世の体か達吉の体か分からなかつた。音のしない、その暗闇の中で、二人はいつまでも股を合わせてゐたのである。