読書シリーズN「インパラの朝」中村安希 集英社 2009年

WB HOUSEのBlogへようこそ!”健康に拘る”営業の河野です。資料差し上げます!
こうしてあなたと出会えたのも何かのご縁です、ぜひ「WB工法」と、「エアープロット」いう言葉を覚えて帰ってください、いつか必ずあなたのお役に立ちます!長野の棟梁が考えた「換気扇を使わないで室内の湿気・VOC・臭気を排出」する工法と、白金担持触媒で「アレルギー源を無害化する」方法です。

 

20代のうら若き乙女が単身で47か国を一人旅。
その行動力には恐れ入る。

 

中村安希(なかむら・あき)

1979年京都府生まれ、三重県育ち。98年三重県立津高等学校卒業。2003年カリフォルニア大学アーバイン校、舞台芸術学部卒業。日米における三年間の社会人生活を経て、06年ユーラシア・アフリカ大陸へ旅行。各地の生活に根ざした“小さな声”を求めて47か国をめぐる。08年帰国。国内外にて写真展、講演会をする傍ら、世界各地の生活、食料、衛生環境を取材中。

 

 

 

 

 

 

 

私の忘備録から一部をご紹介。

・・・・・・・・・途中略・・・・・・・・・・
イスラエル
イスラエルは、いくつかの意味で知られた国だった。聖地エルサレムを持つ宗教的な拠点として、それから中東に混乱をもたらした軍事闘争の国として、また経験的に培われた私的な意見を述べるなら、特徴的といってよいほど過激で破壊的な人々をその人口の内部に有する国として、強い印象を放ってきた。もちろん私は、イスラエルに行きたかった。何が起きているのかをこの目で確かめたかったし、イスラエルには何人か友人もいて彼女(彼ら)と会って話したかった。
 その一方で、イスラエル行きを躊躇もしていた。それまでに出会ったイスラエル人(ユダヤ系人種)の何人かに対し、歪んだ印象を抱かざるを得ないような鬱積した体験がいくつかあったし、隣国ヨルダンへ避難しているパレスチナ難民の境遇を思えば、単に好意的な興味だけでは訪れられない国でもあった。さらに、イスラエルへの入国スタンプが運悪くパスポートに押されてしまうと、いくつかのアラブ圏の国々への入国の機会を失いかねない。スタンプをパスポートに押されるか、別紙に押してもらえるかは、政治状況や時の運にかかっていて、入国審査を通るためには、テクニックが必要だった。
 私は最新の情報を集め、行ける、と判断を下した時点で即座に友人へメールを入れた。そしてその翌朝に、国際バスに飛び乗った。私は入管へ到着するとマニュアル通りに所作を整え、怯えた子犬の瞳をつくり、目には微かに涙さえ浮かべて入国審査に臨んだ。英語が分からない振りをして、威圧的な係員への尋問の意欲を失くさせた。そして、およそ15分間の嫌がらせの質問と一時間強の放置を経て、入国の形跡を一切残さず無事に入管を通過した。

 

・・・・・・・・・以上は「インパラの朝」から。・・・・・・・・・・・・・

 

以下は彼女のブログサイトにその時の経緯が詳しく載っています。

 

【慌しく決まってしまったイスラエル旅行。翌朝6時にホテルを出発し、ヨルダン側は問題なく別紙スタンプで出国。そしていよいよ問題のイスラエルイミグレーションへ。
まず、何がすごいかと言うと、セキュリティーチェックですね。さすがテロの標的イスラエルです。チェックに次ぐチェックに次ぐチェックに次ぐチェック。何回チェックする気じゃ!
そして、なるだけ優しそうなお姉さんがいる窓口へいく・・・予定が、ちょっと間違えて意地悪そうなお姉さんに当ってしまいました。
さて、ここからが有名な意地悪質問大会&放置プレイへと入ります。
質問されたときの鉄則は、英語が分からないふりをして、質問する側のモチベーションを下げる。そして、余計な事を言わず、イノセントな子犬ちゃんのような瞳で、相手の要求に従順に従う。などなど。
嫌がらせ以外の何でもないような質問がスタート。
「何所へ行くの?」
「エルサレムとテルアビブです。」
「エルサレムの何所?!」
え〜、エルサレムはエルサレムで、エルサレムの何所と言われも分からんのです…。ここで、イノセントの子犬ちゃんは、おびえた瞳でモジモジ、モジモジ。
「何所に滞在するの?」
「○○ホテルです。(鉄則。イスラエルに友人がいるとかいうと余計話がややこしくなるので、黙っておく。)」
「そのホテルは何所にあるの?」
え〜、 どこかにあるんじゃないの?ホテルに泊まる予定ないから、そんなの知らないよ。ここで、イノセントの子犬ちゃんは、不安に震える手でガイドブックを開き、 テキトウなホテルと住所を指差してみました。どうせ嫌がらせの質問なので、どのホテルでも、住所が何所でも、相手は気にしないのです。テキトウです。
「どうして、パキスタンやイランのビザが貼ってあるの?」
「なぜなら、インドからトルコへ旅をしようとすると、その両国は避けて通れなかったからです。」
「何をしに行ったの?」
パレスチナ問題解決に向けて、テロ組織と接触していましたの。などと言ってはいけない!!
「・・・旅行です。やむをえず、通過しました。」
「あなたのじいちゃんの名前は?」
じっ、じーちゃんの名前?
「ミドルネームは?」
じいちゃんにミドルネールがあるわけないじゃろ!
約20分間の質問が終わり、日本の住所、実家の電話番号、携帯の番号、メールアドレスを紙に書かされ、両親の名前を聞かれて、とりあえず質問の部は終了。最後も弱々しい子犬ちゃんの、下手くそな英語で、ノースタンププリーズ〜を忘れずに。
そして、パスポートを持ってふてぶてしくオフィスへ入っていったお姉さん。ここから、放置プレイスタート!
最長で8時間の放置を食らったという旅人もかつていたくらいなので、ここは私も張り切ってストップウォッチをスイッチオン!今日は何時間待たされるのかしら…と。
ベンチに座って、パスポートが戻ってくるのをひたすら待つ。待つ待つ待つ。この放置時間、何もすることがないのでイミグレの様子をじっくり観察させてもらいました。
そ こで気づいたのは、イミグレで仕事をする女性職員たちの怖ろしく女離れしてしまった態度です。はい、そうです。イスラエルは男女伴に徴兵義務があり、18 から21くらいの女の子も皆軍隊に入って銃を撃ち、そして彼女達の役目の一つに国内の警備、すなわちイミグレでのお仕事が含まれるそうなのです。
窓口もセキュリティーも、ほとんどが若い軍服の女の子達。だけど彼女達の態度はまさに男。軍服の着方、歩き方、悪態のつきかた、とにかく柄が悪く、もう女ではないですね。
軍隊卒業後、その鬱憤を晴らすかのようにイスラエルの若者は海外へ旅行へ出かけ、各地で問題を起こしまくっているのですが、うんうん、彼女達の態度を見ていたら納得がいきます。軍隊は女の子達をこんなにも破壊的に、また男っぽく、そして意地悪にしてしまうのだな〜と。
最後には、顔面に唾でも吐かれるのではないかというぐらいの扱いでした。
けれどイノセントの子犬ちゃんは、ただただスタンプを恐れ、どんなにいやな事を言われても、おびえた瞳を忘れず我慢。そして、ありがたくなくても「サンキュー」を連呼し、睨みつけられても困惑気味に笑顔・・・。
そして待つこと1時間12分、パスポートが戻ってきました。
「スタンプ、パスポートに押すの?」と最後まで厭味たっぷりに聞かれ…。
「プリーズ、ノー〜〜〜。」
そして、別紙にスタンプを押してもらって、ついに解放してもらえました。はぁ〜、パキスタン、イラン、シリア、のビザつきパスポートで1時間12分の放置なら上出来です!
セキュリティーチェック、バスの乗り換えも含めて、イミグレがなければ3時間かからない距離にあるテルアビブまで、8時間、つまり6時にアンマンを出て、テルアビブに着いたのは14時でした。】

 

・・・・・・・・・・・・・途中略・・・・・・・

 

タンザニア
インド洋に面した小さな漁村で動かず、時を過ごした。その日も、浜辺のいつもの屋台で遅い昼食を食べていた。店で働く女性たちとももう顔見知りになっていて、いつもと同じ料理を食べた。
 私は額に汗を滲ませ、右手で丸めた白米をスープに浸して口へ入れ、それを無心で噛みしめていた。真昼の海岸は暑く、風は淀んで生臭かったが、食事の味は素晴らしく至福の時間が静かに流れていた。私はご飯を食べながら、スープのお椀の縁に群がる数匹のハエを観察していた。そのうちの鈍い一匹が足を滑らせスープに落ちた。私は哀れなハエをすくってお椀の外に放してあげた。それから再びご飯を丸めて、スープと一緒に飲み込んだ。
 テーブルの上や手の甲や白いご飯の山肌にハエがたくさん張り付いていた。私は指をそっと伸ばして、ご飯の山に手をかけた。ハエは慌てて飛び散った。私は右手にご飯も握り、丸めるうちに気がついた。激しい下痢に悩んだ日々は、既に昔の話だった。うるさいハエに邪魔をされ、食事に集中できずにいたのは過去の話となっていた。
『手で食べないとうま味が逃げる』
 ネパールやインドの人々は、右手で器用にご飯を掻き混ぜ美味しそうに食べていた。私は何度か真似をして、習慣を理解しようとしたが、結局はスプーンに手が伸びた。しかし、それすら今となっては思い出話の一部だった。すべては長い時間をかけて、自然と体に溶け込んでいた。ハエがいるのが日常となり、手で食べることが普通になった。野菜も肉も揚げた魚もご飯に混ぜて手で食べてきた。切り分けられたスイカの種は、良く見ると無数のハエだった。
 私は自分の手の味をいつの間にか受け入れえ愛するようになっていた――文化の理解や真似事でなく、真似ごとではなく、生理的な現象として。そして、もしも、私がアフリカへ今着いたばかりの旅人だったら、世界屈指の衛生大国日本を離れたばかりだったら、全く異なる視点を持ってこの光景を眺めただろう。私はご飯の山を遠ざけ、ハエのスープを捨てただろう。消毒されたお箸を持って、レストランを探しただろう。そして屋台のテーブルや食器や料理を指さして、不衛生を糾弾し、それを貧しさと認定し、現状の改善を訴えて声高に叫んでいたかもしれない――「違う景色」を突然目にしたショックに慌てふためいて。
 同じテーブルの猟師たちが「うまいだろ」と私に訊いた。私はこっくり頷いて、ハエのスープとご飯をあっという間にたいらげた。
・・・・・・・・・以下略・・・・・・・・・・・