家づくりの伊呂波と施主の心得

「間違いだらけの住宅造り」 ”家づくりの伊呂波(いろは)と施主の心得”寺島今朝成 著 より引用

個性ある家造りを
人生の中で最大の慶事は結婚ではないでしょうか。お互いを思い、新婚生活を夢見、今後の生活設計を立てていく中で、互いが助け合い努力をし、楽しみながら成長していくものと思います。
 計画を立てて実行していく、その過程が楽しくもあり張り合いでもあるのです。そして、その後には大きな充実感を味わうことができ、次へのステップになるものと思います。
 人生第二の慶事である住宅の新築・改築も、結婚と似た要素があります。
 家を建てよう、増改築しようと思い立ち、家族の夢と希望を背負って計画をする際、一番大切なのは「完成を想像し、過程を楽しむこと」ではないかと思います。
 しかし、最近の住宅産業の動きを見ると、設計段階の「想像と楽しみ」を業者任せにさせたり、出来合いの規格住宅で最初からその機会を与えないようなことが少なくありません。
 せっかく住宅を建てるのであれば、造る喜びを十分に味わい、楽しく充実感のあるものにして欲しいと思います。

 また、最近は「家は買うもの」と思っている人も少なくないようです。家は施主が建てるものであり、設計士や建築業者はお手伝いをするだけなのです。
 本物を求めるには、施主も努力が必要です。家族の夢と健康を託し、高額の投資をするわけですから、建物の表面だけにとらわれてはいけません。また、「すべて業者がやってくれてハンコを押すだけで楽だから」などという考えでは、けっして家族の健康と財産は守ることができません。
 家造りとは、規格住宅(プレハブ)に自分の生活を合わせることではなく、自分の生活に合った家を造ることです。ここで施主としての心得を失ってしまっては、健康な暮らしは保証されません。
 また、昔から「家は済む人の顔であり、人格を表す」といわれています。城や大名屋敷、庄屋、名主、豪商など住む人の立場を象徴するもの、寺院や教会のように多くの人が集うもの、離れや茶室のように特別な機能や役割を負うものなど、歴史の中で家はそこに住む人の象徴でもありました。
 これは単に経済力によってのみ家の違いが出てくるということではありません。同じ大名屋敷であっても、必然的に住む人の品格などがその屋敷に表れるということであり、家がその人の個性を表すということです。
 その個性を規格住宅によってAタイプ・Bタイプといった画一化された全国一律の家に託すことができるでしょうか。
 本当に自分に合った個性ある家造りを考えてほしいと思います。

 

誰に相談するか
 新築・改築の際、まずどこで何をしたらいいのか戸惑う人が多いのではないでしょうか。頭の中で描いた夢をどう表現し行動したらいいのか、誰に相談し誰に注文すればいいのか、悩む人が多いようです。
 昔は各地域に世話役の人と名棟梁が必ずいて、腹を割って相談ができました。ところが、現在はそうした地域のつながりが希薄になり、地域はおろか近隣のコミュニケーションまでもが薄らいでいます。また、家自体が大変複雑になり、高価な住宅機器が多用されるようになると家造りが分業化され、家造りの本筋が分からなくなってきています。
 同時に、棟梁も時代の流れの中で変化を強いられてきました。
 昔から家造りをしてきた棟梁は、時代の流れの中で請負師となり、建築業から建設業へと発展させたものの、家造りに独自のカラーを打ち出すことはなく、施主の相談相手としての役割を放棄してしまったのです。そして、自社の経営安定化のために職人に手間請けとして仕事を出し、管理会社あるいはゼネコンとなっていったのです。
 職人は寝る間をおしんで働き、少し実入りが多くなると単価を下げるようなことが繰り返されました。そのため、現代の建築に求められる「省エネによる健康住宅」の研究開発や設備投資に回す資金や時間の余裕がもてず、古い技術のままで進歩が止まってしましました。

 こだわりの強い棟梁は、独自のカラーを打ち出し、地場の建築業者として頑張ってきましたが、バブル経済の崩壊はこうした棟梁を直撃したのです。
 大工や職人はサラリーマン化していきました。そうなると、なかには経営の安定のために請負い専門の道を選択したり、大工や職人を手放して管理会社となるところも増えていきました。そうなると、とても腹を割って相談できる相手とはなりません。
 こうして施主と建築業者の間にすき間が広がりましたが、ここで頭角を現したのが工場生産による「パネル住宅」だったのです。
 もともと建築業は地場産業の典型でした。日本は北から南まで気候や地形がさまざまで、同じ県内や市町村でも地域によって建築の条件が違っているため、地域のことを知りつくした地元業者が地域ごとに根付いていたわけです。
 ところが、大手が全国展開したパネル住宅は、全国共通でAタイプ・Bタイプといった程度の選択肢しかないので、本当に施主の望む住宅ではなく、また地域の気候や地形に合った健康住宅でもなかったのです。
 多くの施主は物を造る本当の喜びを放棄して、大衆向けに量産される規格住宅が安全で無難だと考えるようになりました。しかし、安全と思われたその規格住宅が、実は人の健康を蝕んでいたのですが・・・。
 では一体、どんな選択をして誰に相談すればいいのでしょうか。
 わりと身近にありながら意外なほど相談しないのが「設計事務所」ではないでしょうか。設計事務所は大きな建物を設計するところで、個人住宅は相手にしてくれないのではないかと、あるいは費用が高くつくのではないか、などと思っていないでしょうか。
 住宅は多くの技術が複雑にからみ合っており、単職でいうと数十種類の仕事が統合されています。建築の各分野を専門に学び国家資格を取った設計士は、まさに現代の棟梁といえるわけです。
 しかし、その設計士はどちらかというと実務経験が乏しく、学者的であたり、デザイナーとしての意識が強く、施主の相談相手という存在とは思われてこなかったのです。
 現在の設計事務所はけっして大規模な建物だけを扱うわけではなく、また費用が高くつくこともないと思います。建設業の看板を掲げ設計施工をしている会社も同様に専門家として信頼できるはずです。
 また、本物の住宅を求めて努力している地場の棟梁はまだたくさん各地域で頑張っています。是非、近隣で過去に良い住宅を建てたお宅で聞いて、地場の棟梁や設計事務所を訪ねてみてください。実際に人が暮らしている住宅は、展示場の着飾った住宅よりもはるかに現実的な見本でもあるわけです。そこで、実際に住んでいる人の話を聞くことができれば大変参考になります。
 施主の最初の仕事は、自分に合った信頼できるパートナー(棟梁や設計事務所)を選ぶことです。展示場めぐりが第一歩ではありません。また、一度相談してしまったからといって、そこに決める必要はありません。内容的に合意が得られていないのに、業者がしつこい場合ははっきりと断りましょう。

 

職人のこだわり今昔
 今、建築業界は昔からの職人の持つ技術だけでは対応できないところまで来ています。新築病(シックハウス症候群)、皮膚病、アトピー、ぜんそく、アレルギーといった病気が、住宅によってもたらされ大きな社会問題となっています。
 この25年間で、昔気質の職人が職人芸に拘り続けて足踏みをしている間に、経済効率の高い「合板パネル住宅」が普及し、それに伴ってさまざまな新築病が蔓延しているわけです。
 そこで、日本の建築が歩んできた道を振り返りながら、職人気質や技術の移り変わりを見てみましょう。

 

 自らの技にこだわり続ける職人には、それにまつわる言葉がたくさんあります。職人気質、職人根性、職人芸、渡職人、卓越技能者、匠人・・・・等々あげればきりがありません。その多くは職人の頑固さやこだわりを表す言葉です。なお「渡り職人」とは、一般には臨時の仕事を求めて移動する大工や左官をいいますが、建築業界では職人気質・職人根性が強く腕一本で勝負する真の職人のことをいいます。
「あの棟梁はコツ(頑固・堅物)で、一度言い出したらテコでも動かない」などと昔の職人は言われたものです。建築業を営む社長さんには、こだわりの強い人が多く、先代(親方)から受け継いだ技術を疑うことなく自信と誇りを持って家造りをしてきたのです。
 しかし、気が付いてみたら新工法が続々と現れ、在来の建築技術に対する評価はめっきり下がってしまいました。また、頑固なあまりお客さんの要望に合わせるのが下手で、嫌われてしまうこともすk無くなかったのです。職人気質が強いことと、施主に誠実であることは違います。職人の誠実さとは、施主の要望に合わせて、職人として持っている技術をおしみなく発揮することなのです。
 そうした中で、職人肌の社長さんも危機感をつのらせ、職人から経営者へと方向転換を図りました。積極的に経営セミナー等に参加して経営のイロハを学んでみても、コンサルタントの先生は販売面ばかりを強調して数字を並べるばかり。根っからの技術者であるため、仕事師としてのプライドとの板ばさみとなる社長さんが少なくありませんでした。
 また、むかしからの技術にどっぷり浸かっている自分の姿に気付き、社内の職人の意識改革に取り掛かるのですが、社長さんより危機意識の少ない職人にはなかなか理解されません。
 それでも思い直して営業努力をするのですが、やはり大手資本の壁は厚い。こうした中小企業はそこから自社の技術を信じて新たな挑戦を始めたわけです。
 中小の建築会社は営業型と職人型の二つのタイプに分かれます。
 営業の道を選んだ会社は、省エネ断熱の新工法として広まり始めた「合板パネル高気密住宅」「在来軸組高気密・高断熱」に活路を求め営業展開していきました。高気密・高断熱は語呂合わせも良く、某教授が「省エネは高気密」と言ったことなども影響してか、客受けも良く、盛んに建てられるようになりました。それから10年ほどすると、高気密による弊害が露呈してくるわけですが・・・。
 一方、職人としてのこだわりを捨てきれなかった会社は、省エネという問題に直面して、厚くした断熱材を床下や天井に多く入れることぐらいしか手が打てませんでした。高気密住宅の繁栄を横目で見ながら「気密の家には健康はありえない」という思いを強くするのですが、長年の勘に頼っているでけで、具体的に説得力のある説明ができないでいました。
 そんな折も折、公的機関が省エネ基準を打ち出したため、高気密・高断熱工法が「省エネ住宅」として認知されるようになったのです。
 しかし、この「省エネ」という言葉が実にクセモノなのです。省エネという言葉はいたるところで耳にし、どんな住宅にも使われていますが、省エネの基準があいまいで、どこまでが省エネでどこまでが浪費なのか誰にも判断ができません。公的機関が打ち出した気密性能にようr基準はあまりにも単純であり、通産省と厚生省でよく話し合う必要を感じます。
 こうした流れの中で、「今後高気密住宅でなければ家が建てられなくなる」という噂が住宅業界を走りました。そして、新工法の会社が職人気質の会社に対して、盛んにフランチャイズとしての入会を勧めました。しかし、昔取った杵柄で職人気質の社長さんはなかなか入会できなかったのです。
 職人には強いプライドがあります。小僧の頃から頭を小突かれながら家造りを修得してきたのです。職人は誰しも自分を「匠人(たくみびと)」だと思っています。
 ところが、この「匠」という文字を繙いてみると、もともとは匚(四角い箱)の中へ斧を入れることを表しており大工のことを意味しますが、別の解釈では匚は三方を囲まれ一方向しか空いていない、つまり「一方向しか見てはいけない」という技術の積み重ねなわけです。このようにして修得した技術は、世の中がどう変わろうとも、ちょっとやそっとではテコでも動かないわけです。
 一部の匠人は大きな勘違いをしているのです。建築業者として家を建て、施主から技術料を頂くのですから、自分自身にこだわる前に、施主に誠実でなければならないのです。匠人は芸術家ではないのです。
 何事にもバランスが重要です。職人気質は古来から日本に住む人の健康を守ってきたわけですが、その反面、省エネ住宅の開発には大きな時代遅れをもたらしてしまいました。
 時代の年輪を感じさせ、安らぎや郷愁を与える古い物は、長い時間の試練と吟味に耐えてきたわけですから、それだけ良質であることが証明されているわけです。ところが人間はその古き良き物にも、時には飽きたり忘れ去ったりしてしまいます。
 住宅も時代のニーズに合った新しい物が求められています。しかし、いくら時代のニーズに合っていても、それらがすべて良質であるとは限りません。むしろ、生活様式の変化に伴って求められた新たなニーズのために、住む人の健康家の寿命が引き換えにおびやかされています。つまり、流行の中に大きな落とし穴があったのです。
 時代が変わり生活様式が変わっても、健康に関する立地条件や日本の気候風土は変わりません。高温多湿の厳しい気候条件を克服してきた伝統の建築には、新築病は決して存在しなかったのです。
 家造りの基本を踏まえたうえで、時代に合った要素を取り入れ、古さと新しさのバランスをとることのできる職人が求められています。

高い営業経費と張りぼて住宅
 情報が入り乱れている現在、建築は技術よりも宣伝と営業が重要視されています。それだけに、何が本当の「住宅健康」なのかを見極めることは、大変難しくなっています。
 展示場の外観だけでは、プロが見ても健康住宅かどうかは分かりにくいものです。壁の中の結露や蒸れ・腐れは、新築後10年〜20年経って増改築をするときに初めて分かることが多いのです。
 最近の住宅産業は、展示場を造り、テレビで宣伝広告を繰り返し、そのうえで営業マンを日夜通わせています。こうした営業経費は膨大な金額にのぼり、建築費の15%〜20%に達しています。
 これは本来、住宅の建築には不要な金額であり、その分が表面を飾って中身の薄い「張りぼて住宅」となってしまったのです。
 宣伝と営業は止まるところを知らず、綺麗なパンフレットを持って言葉巧みに家をファッション感覚で売っています。営業マンはお客の情をつかむために足繁く通い、本物らしさを強調するので、お客は知らず知らずのうちにマインドコントロールされています。

 今行われている住宅商戦においては、どの広告を見ても「健康」を強調しています。「環境にやさしい健康住宅」とか「人にやさしい木の温もり」とか「省エネで高気密住宅」などと良いことずくめの表現ですが、「健康」と「省エネ」に対する基準があまりにもあいまいです。お客も何を基準に選んでいいのかわからないのが現状です。
 展示場を見なくては家は選べない、と思っている人も多く、展示場へ行ってシステムキッチンやユニットバス、壁の色や外観など華やかな飾り付けだけに目を奪われてしまうことが少なくありません。
 展示場には展示用の調度品があつらえられ、部屋を広く見せる工夫がなされ、換気は営業用の特別な装置が取り付けられ、快適そうな環境が演出されています。確かな裏付けにもとづいて「健康」の説明をするメーカーは少ないのです。
 このように住宅産業はいまだに地に足が着かず、バブル経済の延長を歩んでいる状態にあります。表面を飾る技術だけを追求し、家造りの基本である健康を置き去りにしているわけです。
 衣食住の中でも住宅は健康との関わりが強く、アトピー・アレルギーなど現代病の半分は住宅に原因があると言われています。家造りをしているメーカー・建築業者はこれを真剣に受け止め、健康住宅造りの研究に労力と費用を投入しなくてはならないのです。
 また、施主も営業戦略に巻き込まれることなく、本物を見極める目を養いたいものです。何千万もの財産が張りぼてにならないために。

建築の手順
 昔から建築は「段取り八分」といい、施主と棟梁の間で信頼関係ができ、計画が図面化されて設計ができれば、家造りの八分はできたようなものだといわれています。良いパートナーは豊かな発想と高度な専門技術により、施主の夢を計画から設計へと導きます。
 まず、平面計画の段階でいろいろな課題が出て来てます。家族構成、隣家との位置関係、厳寒や窓の位地、部屋と部屋の動線、風の通り道、採光に配慮した間取り、家族の団らんの場、安らぎのある空間づくり、個人のプライバシー、家相にもとづく方位など、数えあげればきりがありません。
 これらに配慮しながら設計図面が出来上がり、見積もりが行われて、予算合わせをします。予算が合えば契約となり、いよいよ着工です。

 まず地鎮祭が行われます。一般的にお宮の宮司さん(神主)に屋敷の悪霊を祓ってもらい、施主の健康と繁栄、工事の安全を祈ります。地鎮祭には神式と仏式があり、宗教によっても違いがあります。
 地鎮祭の終わった現場では家の基礎工事をするため家の位置だしをしますが、これが「地縄張り(ぢなわはり)」です。位置が決まると正確に家の寸法・高さを印す「水盛り(みずもり)」あるいは「丁張り(ちょうはり)」が行われ、「根切り(ねぎり)」「穴堀り」が行われます。水盛りとは、凸凹した地面の上に水平に土台を引くための作業で、昔は竹を半分に割って節を取って樋(とい)にして、その中に水を張って水平を出したものです。丁張りの「丁」は偶数のことですが、「数が割り切れて双方が同じであること」を意味します。この水盛り、丁張りは非常に大切な仕事だったのです。

 その後、地面に「砕石・栗石(くりいし)」が敷かれ、突き固めます。そして、コンクリート工事が始まり、家の重さを受け止めるベースが打たれ、湿気や白アリ、雨水から家を守る鉄筋入りの基礎が打ち込まれます。
 この基礎工事の傍ら、大工棟梁は建前の準備を進めます。まず、設計図をもとに図板(ずいた)(材木に寸法を書き込むための図)を引きます。どんな複雑な建物でも、横に「いろはにほへと・・」、縦に「一、二、三、四・・」の番付けを行い、碁盤の目のように一本一本の材木を線で引き、図板の上に組み上げていきます。だから、昔から「大工はいろはと一二三が書ければ家を建てられる」と言われれてきました。
 名人と言われた左甚五郎は墨付けのできない棟梁でしたが、大工の中には墨付けのできない人もおり、造作大工などと言われていました。また、腕の悪い大工は「押付(おっつけ)大工」「大八(だいはち)」「大六(だいろく)」などとも言われ、腕のいい大工は「名人と棟梁を合わせた名棟梁」と言われます。

 北東(鬼門)に位置する右上の角が「いの一番」となりますが、図板を見ながら一本一本の材木へ「曲尺(さしがね)・墨坪(すみつぼ)・墨さし」を使い「間竿(けんざお)」という定規によって書き写していきます。これを「墨付け(すみつけ)」といいますが、ただ材木に書き写すのではなく、材木の曲りやクセを見ながら家の骨組みが狂わないように材木の使い分けをしていきます。
 ちなみに柱には上下があって、逆さに使ってはいけないことが一般にはあまり知られていないようです。木は根から水分を吸い上げ、枝から葉へと送って放出していますが、木の目には水分(樹液)の流れる方向があるのです。だから、木を逆さに使うと、柱が吸った湿気が上に抜けず、柱が蒸されてしまうのです。また、これは「逆さ木」といわれ家の繁栄にとって縁起が悪いとされています。

材木を水平に使う場合も、頭(末(すえ))は太陽の方向を向くように使います。桁をつなぐ場合も、「末と末」「末と根」の組み合わせは吉ですが、「根と根」は末別れ(すえわかれ)となり凶とされています。
 これはほんの一例ですが、このように昔から木の性質に合わせて、建築の技術と知恵が受け継がれてきました。自然に逆らわないこうした工夫は、住む人の健康に良いことは言うまでもありません。
 棟梁が墨付けをした木材は、職人が墨に合わせて継手(つぎて)・仕口(しぐち)(材木をT字に継ぐ)を造っていきます。これを「キザミ」といいますが、カケヤ(木槌)で打ち込みながら材木を組む時によくしまるように微妙な調整をしながらキザミます。
 こうした昔から伝えられてきた技術も、今ではかなりの部分が機械によって合理化されています。
 蒸れ・腐れのない健康住宅は、これまで述べた通り構造が重要です。その構造材が機械化(プレカット)され、木の性質やクセを見ることなく、コンピューターで一律に処理されています。継手は機械でもできる一番簡単な弱いものとなり、組んでも締まらず、「カケヤ」を必要としない構造となっています。合板パネル構造は構造材のない造りで、継手はすべて釘と金物です。
 その反面、複雑で経済効率の悪い造作材は機械化が進まず、大工の旧技術と古い機械に頼っているのです。
 昔、大工の名人である左甚五郎が昼寝の手間に二枚の板を鉋(かんな)で削って、その二枚の板を合わせたところ、ぴったりと吸い付いて離れなかったと言われています。このような名人芸も、最新の機械を使えば1〜2分の仕事ですが、一般の大工にはなかなかその設備ができないのが現状です。
 柱などの化粧材は鉋をかけた後、汚れが付かないように養生(保護)をします。昔は砥の粉(とのこ)を塗りましたが、今はつや消しのクリアーで木の風格を引き立てます。
 材木は女性のようにとてもデリケートです。私ども大工としては、木の素肌をできる限り自然なまま仕上げたいのですが、汚れを付けてしまったら台無しです。

 そこで、昔は砥の粉を塗りましたが、時には「白木普請」といって白手袋をして造作そしたものです。ところが、今の造作材は木目模様の印刷をしたビニールを貼った物も多く出回っており、悲しい限りです。
 こうして工場で墨付けされキザミを入れた材木は、建前の日に一日で建てられます。つまり、建前とはキザまれた木材を組み立てる日のことですが、鳶職(とびしょく)が建てる作業が、材木の上を飛び舞っているように見えることから「建舞」という書き方もされます。また、建前は「棟上(むねあげ)」ともいわれます。
 建前の主役はもちろん施主であり、一世一代の晴れ舞台となります。そして、立役者は棟梁ではなく鳶職が努めます。棟梁はここまで施主との打ち合わせから材木一本一本の見極め、墨付けまで行い、家に命を吹き込んできたのですが、晴れ舞台では下にいて図板を手に指示をだすのであり、実際に建てるのは鳶職なのです。こうして専門技術をもった者同士の連携によって建前は行われます。
 この建前も現在はかなり簡略化されましたが、昔は型式的にも情緒的にも大がかりなものでした。
 建前が終わると上棟式が行われ、棟梁は塩を、鳶頭は酒を持って家の四隅を清め、建前が無事終了したことを感謝し、施主の健康と繁栄を願います。お祝いの席では棟梁の横に鳶頭が座り、その下座に大工が座ります。祝宴が終わると鳶頭は鬼門柱をかついで棟梁の家まで木遣り(きやり)を唄いながら「棟梁送り」をし、棟梁の家では鳶頭に御苦労の酒が振る舞われて建前が終わるのでした。
 このように、かっての家造りは大勢の人間が施主の健康と繁栄を願いながら進められました。

 この建前が終わると現場での工事が始まりますが、家造りの基本の80%は完了です。建築は点から始まって線となり、それが面となっていきます。点とは計画段階であり、線とは構造・建前・造作であり、面とは床・壁・屋根のことです。
 ところが今の合板パネル住宅は点と線の工程を簡略化し、いきなり面から建てようとします。確かに工程は短縮されますが、いろんな面で手抜きであることは否定できません。住む人の健康がおろそかにされていても不思議はないのです。
 工事はまず屋根から始まります。大工によって「垂木(たるき)」が打たれ、「野地板(のじいた)」「どろ板」が張られて屋根ができます。どろ板とは、瓦で屋根を葺く時、粘土の「荒木田(あらきだ)」を乗せ、瓦の座りを良くするもので、粘土の下に張ることに由来しています。瓦の下に引かれた粘土は、瓦を固定して日本特有の台風などの時も風に巻き上げられないように工夫されており、夏の焼け込みや冬の冷え込みからの防護、梅雨時の湿度調節などに大変に有益なのですが、今は使われていません。

 また、瓦は童謡「こいのぼり」で「甍(いらか)の波」と歌われるように、職人の腕によって波のように重なり合って屋根に吸い付くように葺かれます。瓦は焼き物であるため、焼が甘いと寒冷地では凍み割れが生じ、逆に焼が強いと凍み割れはしないものの、ねじれが生じて屋根に葺いても瓦が踊り「笑って」しまいます。腕の悪い職人が葺いた瓦は「腕が悪い」とは言わず「瓦が笑っている」と言い、腕の良い職人の葺いた瓦は「甍が吸い付いている」などと言います。
 本来、屋根ができると次は壁です。板バネである貫(ぬき)に細竹(シノ竹)を約二尺間隔に入れて、その中に河原のヨシを縦横七分間隔に入れて細縄で編みます。これを「小舞(こまい)」といいます。田んぼから上げた程よい粘土(荒木田)に水を入れて足で踏んで練り、そこへ蔦(つた)(一寸五分〜二寸ぐらいに切ったワラ)を入れてさらに練り込みます。これを「荒壁(あらかべ)」といいます。
 ここで約一か月干しますが、その間に大工は造作の加工をし、荒壁が乾いた時点から造作が始まります。
 この一カ月が一番大切なのです。木は生の時点から乾燥する時にかけて最も大きく自分の癖を出します。後に家の狂いが出るかどうかはこの時に決まるのです。「家を支えている材木は三年は動く」と言われます。一度乾燥してから湿気を吸い、また吐き出して吸うということを繰り返し、三年間で癖が出るのです。
 造作が終わると中塗りをします。これを「砂壁」といい、河原の砂に強い粘土質を水で溶いて細かいアミでこして程よく練ります。ここへ蔦を入れますが、荒壁の時とは違いワラをもんで細くした繊維を入れて荒壁の上に塗ります。
 仕上は「京壁」「漆喰壁」などといい、自然の素材、杉の葉なども使われ、布海苔(ふのり)という海藻を煮て細かいアミでこして塗って仕上げます。
 左官屋さんにも腕の良し悪しがあり、良い壁は「鏡のようだ」と言われ、悪い壁は「波を打っている」などと言われます。
 こうして素材の特性を吟味し生かして造られてきた壁は、長年にわたって呼吸を繰り返し、住む人の健康を守ってきたのです。
 しかし、最近は工期・単価ともに時代の要請に合いにくくなって来ています。本格的でなくても、新建材を使った小舞壁方式の簡式工法でも小舞壁の良さを生かして、新築病を防ぐことはできます。
 屋根に瓦が載り、重みで材木が落ち着いたところで「水盛り」をして水平を出し、水糸で柱の一本一本に水平墨(すいへいずみ)を出します。その後、床の仕上げに合わせて大曳(おおびき)(床を支える太い材木)を入れ、根太(ねだ)(床を支える細い木材)を引き、床が張られます。
 床が張られると仕事の足場もしっかりするので、本格的な造作が始められます。窓枠を入れ、窓を付け、鴨居(かもい)・敷居を入れ、入口枠が取り付けられ、巾木(はばき)(壁を保護するために床部に取り付ける木材)が入れられます。
 ここまではいわば「線」の仕事であり、外見上はあまり進展が見られない地味な仕事ですが、大変に重要な仕事です。この後、壁と天井が張られ、面の仕事になると目に見えて仕事が進みます。この面の仕事までくると素人でもできるものです。
 その後、施主と相談しながら内装の色決め、造作材の選択、キッチン等水回りの発注などを経て完成を迎えます。
 家の見えないぶぶんから機能や装飾性に至るまで、目で確認してもらいながら順を追ってひとつひとつの工程を施主と相談して造っていけば、施主も家族の健康と財産の管理に自信がもてるものです。

寺島今朝成(てらしま・けさなり)
 1945年生まれ。中学卒業後、愛知県へ集団就職、5年間工作機械製造に従事、20歳から建築大工の道を歩む。1970年建築会社設立(専務取締役)、寺社建築、入母屋、数寄屋住宅、ログハウス、鉄骨ビル等各種住宅の営繕を手掛け、1991年(株)ウッドビルド設立(代表取締役)。