健康シリーズK「四国遍路」

四国遍路 辰濃和男 著 岩波新書 2001年4月20日初版

 

著者は天声人語を1975年から1988年まで担当されたとかで、文章力はさすが!
短い一つ一つの文章がまるで数珠玉のように美しく洗練されていて、言葉の選び方などに感心させられます。
 著者は3回の歩き遍路をされたとかで、この本は2回目の歩き遍路のドキュメント(?)です。
四国の遍路道、海や空、木々や森、流れる雲、出会った人、あるいは雨の中の歩き遍路など、その表現が秀逸です。
あたかも自分がその場所に居合わせて、歩き遍路をしている気持ちになります。
私なりに心に沁みた部分を、備忘録として適宜引用させて頂きます。

 

歌人 吉井勇 
四国路へわたるといへばいち早く遍路ごころになりにけるかも 

 

かくばかり弱きこころを癒すべき薬草なきか土佐の深山に 

 

石に座し雲をながめてあるほどに羅漢ごころとなりにけらしも 

 

海道を暮れて歩ける遍路ひとり 誓子
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柱には古い木札が打ち付けられたままになっている。昔は、このようにして札を打つ人が少なくなかったのだ。霊場をお参りすることを「打つ」というのはここからきている。

 

百薬に優る遍路に出でにけり 鵜飼政一

 

 独りで歩くときの心細さがいつかゆとりに変わり、虚像が遊歩する自信ある歩き方に変わってゆくことがあるのだろうか。少なくともこの遍路行は、はぐれる勇気を鍛える日々でありたい。みなで歩く安全な道よりも、はぐれて行く危険な道を選びたい。
 暮らしの知恵は、はぐれる勇気をもち、放浪を続ける人びとから刺激を受けることで、異質なものとまじりあうことで、ゆたかさをます。新しい文化は、はぐれものからの刺激によって創られ、はぐれものによって伝搬されてきたのだ。「はぐれる」ことを否定的にのみとらえる文化は衰退する。
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靴の手入れは毎日する。ある夜、靴を磨きながら靴裏を見て驚いた。厚かった靴底が驚くほど減っている。爪先と踵の部分の減り具合がすさまじい。

 

名僧山本玄峰は1870年代、何回も四国遍路をしているが、記録によると裸足で回ったという。目がかなり不自由だったうえの「裸足参り」である。厳しい修行を己に課すためのお遍路だった。1918年にお遍路をした高群逸枝は草履だった。「巡礼の旅」に「わらじが足にくいいるのを、杖にたすけられて」と書いている。
 演歌師、添田唖蝉坊(あぜんぼう)は1930年代前半、何年間もお遍路をしているが、このときは地下足袋だ。・・・・・・・・・・・
裸足―草履―地下足袋―歩行用の靴という変遷をたどって、登山靴派が現れた。

 

ふりかえり面輪(おもわ)やさしき遍路かな 年尾

 

外国人の書置き帖
「人生は一回だけです。でも充実して生きれば一回で十分です。」

 

伊予の内子を忘れてなろか/人の情けの厚いとこ 野口雨情

 

この世に生きていれば、迷うことばかりだ。小さな迷いもあり、大きな迷いもある。迷わない、という人がいればそれは自分を偽っているのだ。迷ったら、立ち止まればいい。立ち止まって新鮮な空気を思いっきり肺に流し込めばいい。迷ったことで初めて得られる体験、というものがあると思えばいい。
 迷って遠回りすることを恐れることはない。百の道のうちの一つを選ぶということは、九十九の道を失うことになるのだ。失った九十九の道に執着することはない。どの道を選んでも、たくさんの道を失うことに変わりはない。それよりも、自分が選んだ道を楽しむことだ。

 

・・・二人は、金の無い旅で、人の温かさにも冷たさにも出あい、世間を学び、暮らしの贅肉を見つめ直すことができた。遍路道には自己照磨鏡が隠されているのだ。

 

海が見えてくる。沖のほうで、波の光が散り乱れている。左手に浮かぶ鹿島を見ながら歩いた。国道を離れて砂浜に下りた。浅緑の海の果てに浮かぶ雲をながめ、波の音を聴いた。風が吹き、乾いてからからになった海草がふわっと飛んで、砂の上を這ってゆく。
 心身が解き放たれるにつれて、自分の思考を縛る「概念的なもの」がたいそうひからびたものに思えてきた。たとえば海についての既成概念を否定してみると、そこに現れるのはなまなましい、生きた空間だ。その空間こそが海の無尽蔵の力、まばゆいまでの多様性、暗さ、不気味さ、命を創りだす豊かさを如実に教えてくれる。いってみればアタマで海を見るのではなく、こころで海を見るのだ。まっさらになったこころで見なくては本当のところが見えてこないと自分にいい聞かせる。概念に縛られてものを見るときは真の驚きはない。概念的なものを否定し、海に融和し、山に融和して見る新しい空間には静かな驚きがある。

 

歩きながら、へんろ道こそは芸術品だと思った。何十万、何百万の人びとが造り上げた共同制作品だ。落ち葉が積もる。多くの人が踏む。また落ち葉が積もる。また踏む。長い歳月を経て道が固められる。草が刈られ、丁石が置かれ、道しるべが立つ。重い丁石を背負っての山登りは並大抵ではなかったろう。行き倒れたお遍路さんを弔い、お地蔵さまを立てる里びとがいたことだろう。そういう営みがへんろ道という名の芸術品を造りあげたのだ。残念ながら、本物のへんろ道は、道路の開発で次々に消えた。いま、有志の人びとが旧へんろ道の復活に力をつくしているが、ここ数十年で、貴重な文化遺産の多くが失われたことは否定できない。

コミドでの飲み会!