「念ずれば花ひらく・・」という言葉だけは知っていましたが、作者については良く知りませんでした。
ところが・・2017年の、ある日FaceBookが「西澤孝一さんと友達ではありませんか?」と紹介してくれました。
思い起こせば約半世紀(51年)前、愛媛県の宇和島東高等学校の同級生で西澤孝一という名前に心当たりがあり、直接連絡をしてみると、やはり同級生の西澤君でした。(FBありがとう!!)
その西澤君は、現在松山市砥部町にある「坂村真民記念館」の館長とのこと、早速2017年12月28日に、初めて訪ねてみました。
半世紀を経ての再会でしたが、すぐに俺!、お前!って昔の間柄に戻れました!
記念館設立の経緯を聞くと・・西澤君の奥さまが真民さんの三女ということもあり、県職員を退職後、請われて記念館の館長をしているとのこと。
まず最初の仕事は学芸員として、真民さんが残された「796冊の詩作ノート」を1年半かけての読破だったとか・・。(下記YouTube参照)
年末の忙しい時期にも関わらず丁寧に案内・解説していただきました。
皆さまも機会があれば是非訪ねて、真民さんの「含蓄に富んだ言葉」と「ダイナミックな筆使い」に触れてみてください。
(落款部の「鳩寿二」は「くじゅうに」と読ませて92歳の時の作品だとの西澤館長の解説でした)。
以下、私の備忘録です。
【真民さんの生い立ち】
坂村真民(さかむらしんみん) 本名は昂(たかし)。
明治42年1月6日、父子司(たねじ)、母夕子(たね)の長男として熊本県玉名郡府本村(現・荒尾市)生まれた。
坂村家にとって2人目の子である真民は、食が細く、目ばかり大きい虚弱児だった。
8歳のとき、小学校長だった42歳の父が喉頭がんで急逝し、どん底の生活の中、母を支える。
神宮皇學館(現・皇學館大學)を卒業後、熊本で小学校の教員となり、その後、朝鮮に渡って師範学校の教師になる。終戦後、朝鮮から引き揚げて愛媛県に移住。高校の教員として国語を教え、65歳で退職。58歳の時、砥部町に移り住み、平成18年(2006年)97歳で永眠。
20歳から短歌に精進するが、41歳で詩に転じ、個人詩誌『詩国』を発行し続けた。
仏教伝道文化賞、愛媛県功労賞、熊本県近代文化功労者賞を受賞。砥部町名誉町民。
一遍上人を敬愛し、午前零時に起床して夜明けに重信川のほとりで地球に祈りを捧げる生活。そこから生まれた人生の真理、宇宙の真理を紡ぐ言葉は、弱者に寄り添い、癒しと勇気を与えるもので、老若男女幅広いファン層を持つ。
詩碑は日本をはじめ、世界中に730基余りある。
【西澤館長の講演(2013年9月21日 「愛媛ふるさと塾」にて) 】
坂村真民の詩の根底に流れる五つの“こころ”(1/5)
坂村真民の詩の根底に流れる五つの“こころ”(2/5)
坂村真民の詩の根底に流れる五つの“こころ”(3/5)
坂村真民の詩の根底に流れる五つの“こころ”(4/5)
坂村真民の詩の根底に流れる五つの“こころ”(5/5)
【真民さんの両親のこぼれ話】
菊地川の河畔に組まれた高い石垣。その上に座した風格ある屋敷には樹齢六百年の堂々たるイチガシがそびえ、灌木が風雅な庭を彩っていた。
父と母は、この庭でしばしば武芸の試合をした。細川藩の武家の出である母は、免許皆伝の薙刀とくさり鎌を手に嫁いだ。竹刀を手にした父と薙刀を構えた母が真剣な表情で向かい合う。川のせせらぎも遠のくほど張り詰めた空気のなか、百日紅の真紅の花が、父と母の方にはらはらと舞い降り、大地にさらなる色を差す。それはせつないほど美しい光景として、真民の心の中で宝玉のように光り続け、のちに訪れる苦境をしばしば救った。
試合はたいてい、「まいった」という父の声で終わった。一気に緩んだ大気に、川の音が戻ってきた。
【真民さんと相田みつをさんの関係】
相田みつを(あいだ みつを)書家・詩人
1924(大正13)年、栃木県足利市生まれ。
旧制栃木県立足利中学校卒業。
旧制中学の頃から、書や短歌に親しむ。
その後「自分の言葉・自分の書」をテーマに、
独自のスタイルを確立し、数多くの作品を生み出す。
1984(昭和59)年「にんげんだもの」(文化出版局)が出版され
作品が広く知られるようになる。
1991(平成3)年 67歳で永眠。
1970(昭和45)年、坂村真民61歳、相田みつを46歳。
二人は、初めて鎌倉の円覚寺で出逢い、その後長い交流が続きます。
詩人としての作風は異なりますが、共に仏教的な思考を基底に置いていたことや、
人間の生き方を鋭く問う多くの詩を残したことなど共通するものがあります。
平成25年3月愛媛県砥部町で、坂村真民記念館の開館一周年記念として
「相田みつをと坂村真民の世界」展が開かれました。
真民さん
1909年(明治42年)―2006年(平成18年)97歳で永眠。
みつをさん
1924年(大正13年)―1991年(平成3年)67歳で永眠。
みつをさんは、真民さんより15年遅く生まれて、15年早く亡くなった・・。
後日談
私の勤務する(株)キョーリンの専務(会長の奥さま)が書の名人(書号は青澄)なので「真民さんてご存知ですか?」とお聞きすると・・「知っていますよ!昨年、神渡良平先生たちと坂村真民記念館へ行ってきました。西澤館長ともお会いしまして、奥様もお話が上手でしたよ・・。」とのことでした。
世の中は狭い!!