自分に負けるな!

自分に負けるな!

『若き日の想い出』

ご同輩!大丈夫、鍛えればまだまだ行ける!諦めたら「そこまで・・」だ!

「自分に負けるな!」「自分に妥協するな!」


 

 思えば50年以上前の1969年から4年間ほど、「大学に入ったのか?」「空手部に入ったのか?」・・良く分からない様な生活を甲府で過ごした。
大学の授業より、空手部の練習・行事が優先!されていて・・、そうゆうものだ!と思っていた・・!
単に「ケンかに強くなりたい!」との思いで、恐いもの知らずで入部したら・・、想像以上の「蛮カラな生活」で、大いに「鍛えて!」頂いた。
今と違って当時は先輩による“シゴキ”は当たり前で、強くなるためには「耐えて!耐えて!、鍛えて貰う・・!」しかなかった。
・・と言うか、「受験勉強で疲れ果てていた、青白い、運動不足の、新入生!」にとっては、「武道」の初歩とも言うべき「立ち方」(騎馬立ち、平安立ち、猫足立ち、四股立ち・・)で、15分〜30分間「動くな!」と言われて、ブルブル震えるまで、同じ姿勢を維持・我慢させられる事態は、まさに「シゴキ!」としか理解できなかった!!
突きや蹴りの基本動作で「永遠に続くのでは・・!」と思われる繰り返しも、「相手に勝ちたい!」との思いで必死で我慢していたが・・。
今にして思えば「闘うべきは、相手ではなく、弱い自分自身だった!」ということが良く分かる。
先輩の恐さのおかげで自分の限界を超える基礎練習の繰り返しに耐えることができ、いつの間にか、”自分自身に負けない!”「克己心」が身に着いた。
その後の「人生の苦境?」も、当時の苦労を思えば“屁の河童!“と自分を励ますことができた。
21歳当時と比べて、頭髪・容貌の衰えはやむを得ないが・・・
身長・・△4cmの156cm!!!(2023年現在!縮んだ!!)
体重・・同じ60Kg
体形・・ほぼ同じ
体力・・ほぼ同じ
体組成計・・実年齢マイナス15歳!!!
気力・・まだまだ充実
筋力・・少し発達
泳力・・かなり上達!(100m=>2,000m)
視力・・若干低下
聴力・・ほぼ同じ
跳躍力・・かなり落ちているのを実感
知力・・年の功だけ
好奇心・・まだまだ盛ん
記憶力・・まるっきり落ちている。時として谷村新司、レオナルド・ディカプリオの名前が不思議と思い出せなくなる日がある・・
さあ!「走って泳げる125歳」まであと50年(2023年現在)、な〜に50年なんて経ってしまえばあっという間だ!(卒業して今日迄が51年・・)頑張ろう!!

 

懐かしい思い出
●入学式の後、「キミ!空手やらない?」とスマートな小川先輩の勧誘に、つい誘われて・・ついて行った・・!
●与えられたのは、先輩達の真白い!道着に比べて・・”雑巾!”と見違えるほどの悲惨な道着姿!
●歓迎会で飲まされた「どんぶり酒」の奇妙な味と、意識喪失と、地獄の三日酔い!
●気付けば・・見慣れぬ部屋!・・先輩のアパートに担ぎ込まれていた
●「昨夜、お前はトイレで倒れて自分のゲロの中に顔を突っ込んでいた!」と先輩・・(オェッ!)
(よくぞ急性アルコール中毒で死ななかったことだ・・!)
●道場の床で腹筋運動中遠慮なく鳩尾に落ちてくる先輩の踵の恐さ
●夏合宿の河口湖畔で「永遠に続く・・!」と思われた基本練習がやっと終わった・・!と思ったら・・「ロード!」との号令で、裸足で、必死で、掛け出す「河口湖一周17Km+αのロード・ワーク」の絶望感・・
●そのロード・ワークで「風林火山」と「梨大空手部」の2本の「大きな幟旗」を「肩で担ぐな!」と竹刀で叩かれて、両手で「捧げ持ち」ながら走る厳しさ
●その幟を”先頭の1年生だけ!”が交替で捧げ持って走ることの「不条理さ!」と、途中交代することで、醸し出される「同級生ならではの連帯感!
●ロード・ワークの最中に、何度か突如かかる「ダッシュ!」の号令で「100mの全力疾走!」の厳しさ
●厳寒の早朝、甲府市内を「裸足」で走るロード・ワーク時のガラス片を踏んだ時の痛さ
●銭湯で先輩に逢ったので、大声で「押っ忍!」と叫んだら・・廻りの人たちの冷たい視線・・
●柔らかい?物を「おもいきり突けェ!骨を潰せェ!」と、血のにじんだ荒縄の巻き藁に叩きつける拳の痛さ
●巻き藁で軟骨が潰れても、更に「突け〜っ!」と叩きつける時の気持ち悪い「ブヨブヨ・・」感
●その場飛び蹴りで、足の下を”唸りを上げて”横切る竹刀の恐さ
●なれない受払いで柴田先輩の蹴りを除けたら痺れた左手
●あまりの痛さに病院へ行ったら「骨折している・・」と処置された初めてのギブス
●「これで練習を休める!」と思った望みも虚しかった、翌日からのより厳しい練習
●合宿中の中日に、市内のストリップ劇場(人生劇場)へ2年生が1年生を「引率して」「学ランで」「最前列に」「並ばされた」「ドキ!ドキ!感」
●その前夜、合宿場での「人生劇場引率委員長選挙」に”立候補”する数人の2年生の”所信表明”の”立ち合い演説!”に腹を抱えて!笑い転げたこと
●先輩になって思い知る、後輩を“シゴク”ときの有難さ!難しさ!厳しさ!
●卒業時に、途中離脱したNが「何故俺は途中で退部したんだろう・・!」と泣いて悔しがった事実
●就職しても、部活をやり遂げた”自信”が、何にでも挑戦出来る自信になった有難さ!
●梨大空手部の顧問だった、藤本貞治師範による「ビール瓶の試割」を目の前で拝見できた幸せ!
●その藤本師範自由組手の相手をして頂いて・・「ヨ〜シ!今の中段突きは良かった!1本貰ったね!」の言葉が、今では「宝物」となっている
●その藤本師範が「師と仰ぐ!」金城裕師範に「昇段審査をして頂いた!」という有難さ!
●あの、超人のような藤本師範も、2019年1月26日に、87歳で逝去された!とのこと。あれほど鍛えられていても「衰えには勝てなかった!」という現実・・!
●47年後に再会した同級生の黒岩主将山岡副将は、未だ「現役続行中!」だった
●それもそのはず、黒岩は高校時代から空手を、山岡は中学時代には体操で全国優勝の強者だった・・
●黒岩は「体幹トレと巻き藁に向き合う日々・・」、山岡は「地域の青少年に空手指導の日々・・」(2018年11月)・・私も「負けずにがんばろう!」
●47年後に再会した杉山先輩から「お前は全く変わっていないなぁ〜!クソッ真面目!で、馬鹿ッ正直!でヨ〜ッ!」(御意!あの時、あれだけ”シゴいて頂いた!”ので「自分に負けない!、強い心の”頑固者”!に成れました!有難うございました!押忍!!」)
●47年後に訪ねた、「昔の板敷の薄暗い道場とは様変わりの”明るい!”道場」で、「現在のキャプテンは女子ですヨ」と聞かされた驚き!!(あの当時の蛮カラと”女子”が結びつかない・・!)
●道場脇の巻き藁が、板が立っているだけで「巻き藁」を突いた!練習の跡が見えなかった現実
●今なお母校の空手部道場に掲げられている名札の誇らしさ!

 

みんなとの「出合いに感謝!
<m(_ _)m>
「空手部の歌」
1.霊峰富士を仰ぎ見て
  征覇の望みをたくしつつ
  青藍積翠濃きところ
  集うは我ら空手部ぞ
2.武徳花咲く春や秋
  大和の国に生れ来し
  伝統誇る若き身に
  修めつくさん空手道
3.月影白き甲斐がねの
  山下風にさらされて
  鍛えし我が身我が心
  空手の備えいま固し
4.塑風林列霜深
  炎熱砂を焼かん日も
  若き健児の意気高く
  飛燕の妙技磨かなん
5.わが空手部のゆく所
  疾風枯葉をまくごとし
  手向う者はさらになく
  わが部の栄え極まらん

 

 

「新空手節」
1.ここは甲州か甲府の町か
  甲府の町なら大学は梨大
2.梨大空手の学生さんは
  度胸一つの男だて
3.度胸一つで甲府の町を
  歩く姿は六寸ホウバ
4.六寸ホウバは空手の育ち
  ボロは俺らの旗印
5.ボロはまとえど心は錦
  どんなものでも恐りゃせぬ
6.どんなものでも恐れはせぬが
  かわいいあの娘にゃかなやせぬ
7.かわいいあの娘もいつでも捨てる
  空手のためなら命まで
8.命すててもその名は残る
  梨大空手のその名は残る
  ついでに俺らの名も残る

 

「正拳の歌」
国は破れて山河あり
人の心は乱れしを
誰が棄てしぞ大和魂
国を憂いて我ゆかん

 

ぐっと唇かみしめて
稽古に励む丈夫よ
いざ鎌倉のときのため
正義の拳鍛えばや

 

英雄豪傑昔より
紅灯の巷に足しげく
酒をば汲んで姫を抱く
情熱燃えて意気たぎる

 

押忍!